目次
みなさんはじめまして。
このブログを見てくださってありがとうございます。
今回はsheepの中の人はなぜクリスチャンになったのかについてご紹介します。
その前にsheepは誰によって書かれているのかですが、大学生クリスチャンが書いています。
そして、間違ったことを書いてしまわないようにすべての記事を牧師先生に監修してもらっています。
ご安心ください。
それでは早速本題に入ります。
生い立ち
私は両親がクリスチャンという家庭で育ちました。
小さい頃は家族が教会に行くから私も行くという感じで自分の意思で教会に通っていたわけではありませんでした。
そして小学生になり日曜日に習い事が入るようになると自然と教会に行かなくなりました。(クリスチャンは日曜日に礼拝のために教会に行きます。)
教会に行くのはクリスマスとお正月だけという生活が高校2年生の時まで続きました。
ある日突然…
高校2年生の時、ふと空を見上げると「聖書は神様の言葉だから読まないと。」という想いが突然湧き上がり夜中の2時まで聖書を読むようになりました。
母に中学生の頃聖書を渡され本棚の隅に置いていたものの、今まで1度も聖書に目を留めることがなかったため、突然の感情に自分でも何が起こっているのか分かりませんでした。
神は愛
聖書を読み、神を探し求める中で気づいたことは「神は愛」ということでした。
ここで1つ、聖書箇所をご紹介します。
「18 あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたはご自分の民の中で生き残った者の罪を赦してくださいます。あわれみを好み、ご自分のためをいつまでも怒ってはおられません。
19 再び、私たちにあわれみをかけてくださいます。私たちの罪を踏みつけ、海の底に投げ込まれます。」
ミカ書7章18~19節
私はこの聖書箇所を読んだとき、今まで神様を無視して生きてきたことや人を傷つけてしまったこと、たくさんの罪が思い起こされました。
しかし、こんな私の罪を赦してくださる(18節)そして海の深みに投げ入れてくださる(19節)
ここに神の計り知れない大きな愛を感じました。
深海とは200mからとされており、水は厚さ200メートルになると光を99%吸収してしまいます。
つまり真っ暗で何も見えない、そんな場所に私の罪を投げ入れるということは私の罪は見えなくなるということです。
いつまでも私の罪を覚えて「神なんていないと思ったよね?」「あの時○○したよね?」などと神様は言われないのです。
「もうあなたの罪は見えないよ。気にしてないよ。」そう言ってくださる方なのです。
私が何かをしたから愛する、という条件的な愛ではなく無条件で計り知れない大きな神の愛を感じた時、神に信頼して人生を歩みたいと思うようになりました。
それから私は洗礼を受けクリスチャンになりました。
クリスチャンになったあと
洗礼を受けたあとに今通っている大学にキリスト者推薦があることを知り、受験して現在通っています。
神に信頼して歩むとき、神は最善の道を用意してくださることを知りました。
これからも神の愛に感謝して歩んでいきたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
神様の祝福がありますように。
SNSでは最新記事の情報を流すのでフォローしていただけると、とても喜びます。
自分が神様と出会ったのは中学3年生の春でした。ひつじさんの海の深みについての説明を読み、罪を二度と思い出さないでくれる神様の愛を知ったときの感動を思い出しました。ありがとうございます!
チョコ様
コメントありがとうございます。
罪を思い出さないでいてくれるというのはとても大きな愛ですよね。
感動を共有できてうれしいです。
sheep