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教会に行ってみた結果・・(21歳・女性)

証とは、神様の御業(神様がしてくださったこと)を分かちあうことです。

今回は私がとてもお世話になっている先輩に、どうしてクリスチャンになったのか聞いてみました。

生い立ち~高校受験

私はクリスチャンホームではない一般的な家庭で生まれ育ちました。

小学校、中学校と吹奏楽でトランペットに打ち込んできた私は、吹奏楽が強く、どうしても行きたい高校がありました。

そこに校内推薦をいただいて受験するも合格できず、続く一般受験でも合格することができませんでした。

同じ高校に2回も「不合格」と言われたことがとてもショックで、学力だけでなく、私の人格そのものが否定された気持ちになりました。

最終的にミッションスクールへ通うことが決まりましたが、志望校に入学できずどん底からのスタートでした。

1回で済む教会出席レポートを選んだら…

高校では、「教会出席レポート」というのがあり、毎朝の学校での礼拝3回分のレポート、もしくは教会に出席し説教1回分のレポート、どちらかを提出しなければなりませんでした。

学校の礼拝を3回分もレポートにするのが少し面倒だと思った私は、家の近くの教会に出席することにしました。

初めて教会に行く朝は正直、「教会って怖いのかな、初めての人でも受け入れてもらえるのかな」そのような気持ちの方が大きかったのを覚えています。

しかし、いざ行ってみると、牧師先生が「よく来たね〜、いらっしゃい!」と笑顔で迎え入れてくれました。

そして、礼拝堂の一番目立つところに「神は愛なり」と大きく書いてあることに驚きと「どういう意味だろう?」と疑問を感じました。

初めての礼拝

初めての説教では第1ヨハネ4章7-12節「神は愛なり」についてのお話でした。

愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛があるものは皆、神から生まれ、神を知っています。

第1ヨハネ4章7節

中学まで、とにかく目立つことばかりを考え、先生や友達、親から認められたいという承認欲求で行動してきた私は、その説教を聞いて、無償の愛が存在すること、神様が全ての行動において「愛」を持っているということがとても印象に残りました。

そして、心の中にあった「高校にも合格できない、上手くトランペットを吹くこともできない今の自分にはどんな価値があるんだろう」という思いが少し薄くなっていることに気がつきました。

このことがきっかけとなり、もっと神様について知りたい、「愛」について知りたいと思い教会に通うようになりました。

幸い、私の母も同じ高校出身でキリスト教に理解があったので、その日の教会で聞いた話をすると「私も行きたい」と行ってくれました。そこから、私は学生礼拝から大人礼拝まで、母は大人礼拝に一緒に出席するようになりました。

人間関係での悩み

高校1年生の4月から1年間教会に通い続け、高校2年生に進級する時、牧師先生から「洗礼を受けない?」と声をかけていただきました。

私もその時すでに「洗礼を受けたい、神様を信じて生きて行きたい」と思っていたので洗礼を希望しました。

ですが、洗礼の準備に向けて牧師先生と勉強会をしている時、学校で人間関係について悩むことがあり、祈っても、祈っても状況が改善されないことがありました。

私が進学したコースは3年間クラスメイト20人と担任の先生が変わらず、一度人間関係でもめてしまうと進級しても元に戻ることが難しい状況でした。

私はだんだん人に関わること、「仲良し」のフリをした友達集団にいることが怖くなり、自然と一人でいることが増えていきました。

そんな時に出会った御言葉がこの2つです。

求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門をたたきなさい、そうすれば開かれる。誰でも求めるものは受け、探すものは見つけ、門を叩くものは開かれる。

マタイ7章7−8節

だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ法律と預言者である。

マタイ7章12節

友人とのいい関係を望んでいるなら友達から距離を置くのではなく、自分が仲良くなりたいと思う人を求めていかなければいけない。

そうしないといつまでたっても今の状況は変えることができないということに気付かされました。

また、「人にしてもらいたいことは何でも、あなたがたも人にしなさい」の言葉の通り、自分が人からされて嬉しいことをやっていこうと思い、一人でいる人に「おはよう」と声をかけること、そしてクラスメイトのことも共にお祈りをすることなど、自分にできそうなことから始めていきました。

すると、今まであまり話したことがなかった人と話せるようになったり、クリスチャンの友達ができたり、何より一番苦手だと思っていた人と和解できたりと、人間関係が改善されていきました。

その時私は初めて「開かれる」という経験をし、「愛という動機を持って行動する」ことの大切さを感じました。

そして、神様が私の祈りを聞いて、私が求められるように働きかけてくださったおかげだと実感しました。

洗礼を受ける

それから高校2年生の8月に洗礼を受けることができました。

8月はイースターやクリスマスの時期ではありませんが、自分の「早く洗礼を受けてクリスチャンとして新たな信仰生活をスタートさせたい」という思いと、牧師先生と話した「長崎に生まれ平和を願うものとして、特別な月、8月に洗礼を受けたい」という想いのもと、8月にバプテスマを授かることができました。そして、同じ年のクリスマスに母もバプテスマを授かることができました。

同じ高校に2回落ちてしまった時は、人生のどん底のような気持ちになりましたが、それは神様と出会うための出来事であり、まだ神様を知らなかった私にも働きかけてくださったことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして今、たくさんのクリスチャンの仲間に恵まれ、共に信仰生活を送れることを本当に嬉しく思います。「神は愛なり」のように、これからも「愛」を持って動き、求め続けていきたいと思います。

1 COMMENT

アンヂイ

Thank you for sharing this story of how God’s love drew you into himself. I think it is encouraging to read the direct correlation of God showing his love to you and then you wanting to love your friends with God’s love. Thank you for sharing this!

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