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再臨までの間、魂はどこにいますか?

なかなか現実離れした問題で難しいですが、神様の裁きはイエス様が再臨される時ですよね。それまでの間は死後どの様な状態でどこに存在するのでしょうか?
今、この世界で住まわせてただいている事だけに目が行き、死後私が再臨の時までどの様な状態で居れるのかあまり考えた事が無いので、アドバイスをお願い致します。
神様の裁きの時には「よくやった、忠実なしもべよ。」と言われる様に歩みたいと願っています。
ご質問ありがとうございます。
再臨までの間、魂はどのような状態でいるのかについてはいろいろな解釈があります。なぜなら聖書に明確に書かれていないからです。よって、「絶対にこうだ。」と言い切ることはできませんが、あくまでもみことばを根拠に言えることだけをお伝えします。
また、質問に「神様の裁きの時には「よくやった、忠実なしもべよ。」と言われる様に歩みたい」と書かれてありましたが、そんな思いで生きておられることこそ、まさに忠実だと思い感銘を受けました。

再臨まで、魂は眠っている

聖書にはこのように書かれています。

13.眠っている人たちについては、兄弟たち、あなたがたに知らずにいてほしくありません。あなたがたが、望みのない他の人々のように悲しまないためです。

14.イエスが死んで復活された、と私たちが信じているなら、神はまた同じように、イエスにあって眠った人たちを、イエスとともに連れて来られるはずです。

15.私たちは主のことばによって、あなたがたに伝えます。生きている私たちは、主の来臨まで残っているなら、眠った人たちより先になることは決してありません。

16.すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、

17.それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

第一テサロニケ4章13~17節

「眠っている人たち」とは、亡くなった人たちのことです。

「イエスにあって眠った人たち」とは、イエス様を信じて亡くなった人たちのことです。

15節「主の来臨」、16節「主ご自身が天から下って来られます」とは、イエス様の再臨のことを指しています

再臨とは、イエス様が再びこの地上に来られるということです。

この聖書箇所から分かることは、死後すぐに魂が主のもとへ行くのではなく再臨の時にのみ、皆復活して主の前に立ち、それまでは「眠っている」ということです。

いろいろな解釈

再臨までの魂のゆくえについてよく見られる解釈について紹介します。

死後、すぐに裁かれて主のもとへ行く

この根拠に挙げられる聖書箇所はここです。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

へブル人への手紙9章27節

裁かれることは分かりますが、死後のどのタイミングでかは分からないので、「死後すぐに」とは言い切れないと思います。

「眠っている」のは体だけである

魂と肉体は別々であるため、魂は主のもとへ行き肉体は再臨の時まで眠っているという解釈です。

私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。

第二コリント5章8節

確かに魂と肉体は別々であることが分かりますが、いつ魂が主のもとへ行くのかは分かりません

よって、眠っているのは体だけだとは言い切れないと思います

このように、再臨までの魂のゆくえについては聖書に明確に書かれていないため、この他にもさまざまな解釈があります。

しかし、現時点では再臨の時まで「眠っている」と読むのが良いと思います。

私たちの目標

「今、この世界で住まわせていただいていることだけに目が行き」と質問に書かれてありましたが、天でイエス様と再会することを目標に生きるのはどうでしょうか。

キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。

ピリピへの手紙3章14節

知るべきことと知らなくていいこと

私たちが生きる上で知るべきことは明確に聖書に書かれてあります。

例えば、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかってくださったことや、すべてが最善へ導かれることなどです。

これらのことは誰が聖書を読んでも同じであり、解釈がさまざまあるということはありません。

反対に、再臨までの魂のゆくえや地球が造られる前など明確に書かれていないことは私たちが今生きる上であまり知る必要のないことなのかもしれません。

もちろん、私も気になるところではありますが神様が知るべき時に教えてくださるのでその時まで楽しみに待とうと思っています。

よって、分からないことではなく、今与えられている神様からの約束や教えに希望を置いて歩むことが「忠実なしもべ」の歩みなのではないかと私は思うので、一緒にそのように歩んでいければと思います。

すべてを理解することはできない

そもそも、神は「時」「空間」「物理」を超えた方です。

はじめに神が天と地を創造された。

創世記1章1節

ひつじさん
ひつじさん

はじめに・・「時」

天・・「空間」 

地・・「物理」

造られたということはこれらを超越しているということです。

そのような方が造られたこの世界、または死後の世界を人間の常識で語ることはできないのです。

ですから、再臨まで魂は「このような状態でここに存在する」ということが聖書に明確に書かれていないのであれば、人間が「こうではないか」と想像して聖書に付け足したりせず、分からないことは分からないで置いておき、神に教えられていることだけを知ればよいと私は思っています。

まとめ

再臨までの間、魂がどこにどのような状態でいるのかは聖書に明確に書かれていないため分かりませんが、「眠っている」と読むのがよいと思います。

私たちが生きる上で知るべきことは明確に聖書に書かれてあります。

分からないことではなく、今与えられている神様からの約束に希望を置いて一緒に歩んでいきましょう。

ご質問ありがとうございました。

神様の祝福がありますように。

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