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みなさんこんにちは。
お元気にされていますか?
唐突ですが、みなさんは「宗教はどれも同じ」という言葉を聞いたり思ったりしたことはありますか?
しかし、キリスト教には他の宗教と決定的に異なる点がいくつかあります。
この記事では各宗教の救いの条件を取り上げるのではなく、キリスト教にしかないことをお伝えします。
キリスト教の救い
聖書は以下の3つを信じることで救われると教えます。
私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
第一コリント15章3~5節
つまり、イエス・キリストが「私たちの罪のために死なれたこと」「墓に葬られたこと」「三日目によみがえったこと」この3つを信じることで天国に行くことができる、つまり救われるということです。
キリスト教にしかないこと
恵みとは、本来受けるに値しない存在に対して無料で無条件に贈られるギフトのことです。
つまり、神に背き罪の中にいる、赦される資格のない私たち人間に対して贈られたイエス・キリストによる身代わりの死のことを指します。
人は自分の「行い」によって救われるのではなく、一方的な神の愛によって救われるという、ここまで徹底した「恵み」という概念はキリスト教にしかありません。
この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章8~9節
イエス・キリストは教科書に載る歴史上の人物であり、実在したか疑う余地はありません。
多くのクリスチャンでない方が疑問に思うであろう復活については聖書にこのように書かれてあります。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
コリント人への手紙第一15章6節
この箇所では、復活したキリストが五百人もの人の前に現れたということが記されています。
コリント人への手紙第一はパウロという人が書いたのですが、この手紙が書かれた時はイエスの復活を見た人の大多数が生きていたということです。
ここから分かることは、大多数の目撃者がいる中でパウロが嘘を書くことは困難だということです。
また、歴史家であるN.T.ライトさんはこのような言葉を残しています。
「歴史家として、私はイエスがよみがえらなかったら、初期キリスト教の立ち上がりを説明することはできません。」
ただ、信じなさいと言われているのではなく、歴史的な救いの根拠があるというのもキリスト教にしかない特徴です。
神が人のために死ぬという救いの方法はキリスト教にしかありません。
イエス様の死がスペシャルなのです。
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現われ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従いました。
ピリピ人への手紙2章6~8節
聖書が教える救いと他宗教の決定的な違い
それは、救いの方向性です。
聖書が教える救いは、神から人間に対して贈られた「恵み」を受け取ることによる救いです。
他宗教の多くが教える救いは、人間から神に近づこうとする「行い」によって自らつかみ取る救いです。
まとめ
聖書が教える救いは神からの一方的な「恵み」を受け取ることです。
他宗教の多くが教える救いは「行い」による救いです。
イエス様が十字架上で苦しんでくださったゆえに、私たち人間は救われるために何も頑張る必要はありません。ただ、神から贈られたイエス・キリストというギフトを受け取るだけです。
私は今回この記事で初めて「キリスト教」という単語を使いました。
今まで使わなかった理由は、キリスト教は宗教ではなく「事実」だと思っているため、キリスト教と書くことによって「たくさんある宗教の1つ」のように聞こえてしまう気がしたからです。
聖書には神を信じるに十分な情報があります。
聖書を通してみなさんがキリストに出会い、「宗教ではなく本物だ!」と気づく日が来ることを心から祈っています。
最後に「Amazing Grace」という有名な讃美歌を紹介して終わります。
神の恵みのすばらしさを感じながら聴いてみてください。
神様の祝福がありますように。
なぜイエス様を信じる必要があるのかについてはこちらの記事にまとめてあるので疑問に思った方はご覧ください。
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