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祈りとは?

みなさんこんにちは。

元気にされていますか?

今回は祈りについてです。

祈りとはなんだろう?と考えたことがあるでしょうか。

みなさんの祈りのイメージは願い事を叶えるということかもしれません。

しかし、聖書の教える祈りはそれだけではないのです。

早速聖書を読んでみましょう。

祈りの本質

あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。

マタイの福音書6章8節

私たちが願い事を祈る前から神様は私たちが何を求めているのかご存じだということです。

病気を治すため、受験に合格するためなど、私たちの願い事を叶えることが祈りの本質ではないということが分かります。

なぜなら、病気が治ってほしいなど私たちの求めていることはすでに神様が知っておられ最善へと導こうとされているため、願い事を伝えなければ叶わないというようなことはないからです。

祈りの本質は神のみこころを求めるということです。(後半で説明します)

祈る理由

神様との関係を深める

6. 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

7. そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ピリピ人への手紙4章6~7節

すでに神様は願い事をご存じなのに「知っていただきなさい」とあります。神様は知っておられるけれども伝えなさいということです。

親は子供が学校であったことや楽しかったことを伝えてくれなかったら悲しい気持ちになります。

それと同じように、神様は私たちを愛するがゆえに、私たちの祈りを待ち望んでくださる方です。

人と人でも会話を重ねることで相手を知り、信頼するようになります。

同じように、神様と会話をすることで関係を深めることができます。

「神様との会話」をするために祈りが与えられました。

例えば、A と Bのどちらの道に進もうか迷ったとき、「最善の道に導いてください」と祈ったとします。

Aの道が開かれたとき、「こっちが最善の道だったのか」と気づくことができます。

しかし、祈らずに始めた場合、なんとなくAに進んでいてこれが正しいのか分からなくなってしまいます。

祈ることによって、神のみこころに気づき感謝することができます

この、祈り→神の応答という「会話」によって私たちは神に信頼し、関係を深めることができます

霊的呼吸

また、ある牧師先生はこのように言われました。

「神様とつながっていない状態はクリスマスツリーのようです。見た目は学歴や、就職先で装飾され一見きれいに見せることができても根が栄養のあるところにつながっていないために枯れてしまいます。しかし、土に植えられている木は常に栄養を取ることができます。これが、本当に生きている木と言うことができます。

同じように、神とつながっていない生き方は本当の意味で「生きている」とは言えないのです。神に創られたものとして神とつながるということが本来の人間の姿です。」

神様とつながること、これが祈りです

神に創られたものとして神とつながるとき、私たちの心は平安で満たされ守られます。

私たち人間にとって祈りは霊的呼吸とも言うことができます。

絶えず祈りなさい。

第一テサロニケ人への手紙5章17節

祈りの内容

イエス様が教えてくださった主の祈りは「天におられる私たちの父よ」で始まります。

英語であれば Our father who are in heavenです。

私たちには幸いなことに、神様のことを「お父さん」と言う特権が与えられています。

自分のお父さんとの会話を思い出してみてください。

今日あった出来事や友達のこと、ありがとうやごめんなさいも伝えます。

同じように、もしくはそれ以上に神様に何でもお伝えしてよいのです

大胆に祈る

今まで聖書を読んできたように、祈りは神様との関係を深め、私たち人間にとって欠かせない霊的呼吸です。

ここまで読んで「祈りが神様に悩みをお伝えするだけのものであったら私の願い事は叶えられるのだろうか」と不安になった方がおられるかもしれません。

しかし、神は機械ではなく生きておられる神であるため、私たちの語りかけに対して答えてくださいます

あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。

ヨハネの福音書14章14節

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。

第一ヨハネ5章14節

願い事を祈るときの注意点

冒頭でもお伝えしたように、祈りは願い事を叶えるための手段ではありません

もしそうであるならば、私たちは神を自分の都合のいいように操ろうとしていることになります

人間のお父さんに願い事を伝えることもありますが、自分の思い通りに動かそうと思って伝えていません。

願った通りにならなくてもお父さんの判断に任せようと思います。

そこには愛があるからです。

同じように、願い事は伝えますが、神を愛する者として神の御手にゆだねる、つまり神のみこころを求めるということが愛を動機とした祈りなのではないかと思います。

まとめ

私たちの願い事は神様が既に知っておられ、それは最善の方向へ導かれることが約束されています。

よって、私たちの願い事を神にお伝えして叶えることが祈りの本質ではありません。

もしそうであれば、自己中心的な動機で神を操ろうとしていることになります。

神のみこころを求めることが祈りの本質です。

祈りは人間にとっての霊的呼吸であり、神様との関係を深める手段です。

神は機械ではなく生きておられる神であるため、みこころにかなった祈りをする時、必ず答えてくださいます

祈りは豊かで奥深いため、今日紹介した祈る理由や祈りの本質はほんの一部であり、これがすべてではありません。

これからも祈りに関して何回かに分けて記事を投稿するのでまた読んでみてください。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

神様の祝福がありますように。

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