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みなさんこんにちは。
お元気にされていますか?
今回は救い主の誕生を一番に知らされた羊飼いについてです。
天使が羊飼いに救い主の誕生を知らせたとき、2回も「あなたがたのために」という言葉が使われましたが、そこ隠された神の愛について見ていきましょう。
今回の聖書箇所
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
ルカの福音書 2 章 11~12 節
11~12節は天使が羊飼いに救い主の誕生を知らせている箇所です。
しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカの福音書 2 章 19~20 節
イエス様の誕生を1番最初に知らされた羊飼い
当時、羊飼いは社会の最も下の人だと蔑まれ、存在を軽んじられてきました。
私たちの罪を贖う救い主の誕生の知らせは王や貴族など身分の高い人に伝えられることがふさわしいように思いますが、神はそのようにはなさいませんでした。
まず、貧しい羊飼いたちと羊の群れに伝えられたのです。
ここから、神は社会の弱い立場にあるものや蔑まれているものに心を留め、大切にされるということが分かります。
「あなたがたのために」
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」(11節)
「それが、あなたがたのためのしるしです。」(12節)
「今日、ダビデの町で救い主がお生まれになった。」でも意味は通じ、それでも良かったはずです。
しかし、2回も「あなたがたのため」という言葉が出てきます。
羊飼いたちは人々から蔑まれており、見捨てられている思い、誰も自分たちに関心をもっていないという思いをもちながら過ごしていたと思います。
そんな羊飼いに対して神は「人々はあなたがたのことを蔑むかもしれないが私は心に留めているよ」と言わんばかりに、わざわざ「あなたがたのために」という言葉を使われるのです。
私たちは自分のために作ってくれた料理、時間など自分 1 人のために何かをしてもらうと、愛されていると感じると思います。
同じように、神様は羊飼いに「私は愛しているよ」ということをお伝えになりたかったのだと思います。
「あなたがたのために」という言葉の裏には計り知れない神の愛とご配慮があったことを思わされます。
また、この「あなたがたのために」は羊飼いや当時の人だけでなく、私たちのことも指しています。私たち 1 人 1 人の罪を贖うためにイエス様はこの世に来てくださったからです。
思い巡らすマリア
19 節で「しかしマリアはこれらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた。」とあります。
マリヤは「権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。」と預言的な賛美をしています。(ルカの福音書 1 章 52 節)
自分の賛美と、羊飼いたちが 1 番最初にイエス様を礼拝しに訪れたことが重なり驚きつつ、思いを巡らしていたのだと思います。
私たちもマリアのように、救い主の誕生は羊飼いに最初に知らされたという出来事の背後にある、神の愛とご配慮に思いを巡らすことが大切なのだと思います。
そして、羊飼いに心を留められたように、今も私たち 1 人 1 人を気にかけ大切にされるということも忘れずに過ごしたいと思います。
まとめ
神は、当時のけ者にされ最も社会的に弱かった羊飼いに、救い主の誕生を知らせました。
そこには社会の弱い立場にあるものや蔑まれているものに心を留め、大切にされる神の姿があらわされています。
「あなたがたのために」という言葉の裏には計り知れない神の愛とご配慮がありました。
そして、「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」という言葉は現代に生きる私たちのことも指しています。
私たち 1 人 1 人の罪を贖うためにイエス様はこの世に来てくださったからです。
この待降節にマリアのように神の愛とご配慮に思いを巡らすことができるように祈ります。
最後に「まきびとひつじを」という讃美歌を紹介します。
この讃美歌は今回読んだ、ルカの福音書2章の「 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。」 と羊飼いに知らせている場面が歌われています。
救い主の誕生を1番に羊飼いに知らせた神の愛を思い巡らしながら聴いてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
神様の祝福がありますように。