みなさんこんにちは。
お元気ですか。
今回はイエス様が十字架にかかる前日の夜、最後の晩餐の箇所を読んでみましょう。
聖書箇所
22. さて、一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
23. また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、彼らにお与えになった。彼らはみなその杯から飲んだ。
24. イエスは彼らに言われた。「これは、多くの人のために流される、わたしの契約の血です。
マルコ14章22~24節
イエス様はご自身が明日十字架にかかるということを知っておられたため、弟子たちにパンとぶどう酒で説明されました。
パン・・・イエス様の体、パンを裂く→イエス様が十字架上で死ぬ
ぶどう酒・・・イエス様の血, 契約の杯
イエス様の大きな愛
「取りなさい。これはわたしのからだです。」とはどのような意味かというと、イエス様の十字架上での死によって成し遂げられる罪の赦しを受け取りなさいということです。
罪とはギリシャ語でハマルティアと言い、「的外れ」という意味もあります。
人間にとって神を無視して生きることこそ的外れな生き方です。
人は誰でも自己中心であるため、みな罪の中にいると言えるでしょう。
すべての人は罪を犯して、(省略)
ローマ人への手紙3章23節
罪をおかしたままでは生涯を終えた後、永遠の滅びが待っていると聖書には書かれてあります。
神を無視して生きてきたことや神に喜ばれない思いや行いがあったこと、これらの罪のために本来は私たちが死後に苦しみを受けなければなりませんでした。
しかし、私たちが苦しまなくていいようにイエス様が代わりに十字架上で手と足にくぎを打たれ、苦しんでくださいました。
私たち1人1人のためにご自分のいのちまで惜しまずにささげ、愛してくださいました。
イエス様がささげてくださったいのち、赦しを受けることで得られる永遠のいのちを「受け取りなさい」と言ってくださるのです。
ここまで大きく、愛のあるギフトはないと思います。
イエス様が苦しんでくださったゆえに私たちは何も苦しまなくてよいのです。
感謝してイエス様というギフトを受け取るだけです。
イエス様の十字架での苦しみがどれほどのものであったか、そこにどれほどの犠牲と愛があったのか心に留めてみてください。
神様の祝福がありますように。
罪の報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章23節